第72回  バクテリアに学ぶ感染症予防材料の開発

コミュニケーションを攪乱して毒性を抑止

細胞間コミュニケーションで仲間の増殖を感知する バクテリアは、十分な数に達したところで攻撃を仕掛ける。 進化の中で身に付けたバクテリアの生き残り戦術を 逆手に取る、バクテリアに学ぶ感染症予防材料とは?
セラチア菌(Serratia marcescens)とゲルシート

セラチア菌(Serratia marcescens)とゲルシート

 ネットワーク構造を制御したゲルシートに、吸着・包接能を有するシクロデキストリン(CD)を固定し、シグナル分子を除去する材料(写真下)を開発。写真上は、右半分にのみCDを添加したゲルプレートでセラチア菌を培養したもの。左半分はシグナル分子がクオーラムを超えて抗菌物質(赤色)を生産するが、右半分はシグナル濃度が増加しないため、仲間が増殖したことに気づかずにおとなしくしている。

バクテリアなどが引き起こす感染症では、特に薬剤耐性菌が深刻な被害をもたらし、問題となっています。一般に感染症対策は、菌を殺傷するために消毒薬や抗生物質などが用いられます。ところが、さまざまな薬に対して耐性を身に着け、薬がまったく効かない菌も出現しているのです。それが、院内感染を引き起こす要因ともなっています。そこで求められるのが、抗生物質などに頼らず、耐性菌を生み出さない感染症予防法の確立です

実は、バクテリアも“会話”に相当するコミュニケーション手段をもっていることが、近年、明らかになってきました。仲間に情報を伝える物質(シグナル分子)の濃度を感知して、周囲に仲間がどれくらいいるかを確認する「クオーラムセンシング」と呼ばれるメカニズムがその1つです。じわじわと増殖するバクテリアは、クオーラム(定足数)を超えると特定遺伝子の転写活性が高まり、いっせいに毒素の生産を開始して放出するのです。仲間の数が十分だと確認できたところで攻撃を仕掛ける。それは、小さな生物が大きな生物を効率よく倒すために、進化の過程で獲得したバクテリアの生き残り戦術だと考えられています。

現在、シグナル分子を分解したり吸着除去することでバクテリア間のコミュニケーションを撹乱し、毒性物質をつくらせないというユニークな研究が進められています。すでに、セラチア菌や緑膿菌などのグラム陰性細菌が共通して利用する、あるシグナル分子を選択的に分解する酵素の大量発現に成功しています。また、シグナル分子を吸着除去するゲルシートも開発され、その効果も実証されました。

今後は実用化に向けた研究も進められ、感染症対策に限らず、バクテリアが生産し、生物や環境に影響を与えるさまざまな物質の制御にも、この方法が応用できると期待されているのです。

 

加藤紀弘 教授
宇都宮大学大学院 工学研究科

加藤紀弘 教授

 バイオテクノロジーとの融合で新たな材料をつくる

高分子ゲルや機能性高分子など、いわゆるソフトマテリアルの開発が専門ですが、さまざまな大学や企業と学際領域の共同研究を行っています。この研究も、遺伝子解析のグループ、シグナル分子をつかまえるための超分子の設計グループ、それを受けて実際に材料を開発する私たちのチームと、いろいろな方たちのアイデアと苦労が結集してここまでこれたと言えます。 私自身は、大学時代の有機合成化学にはじまり、バイオ分野の研究もやりましたし、一時期は企業にもいてエンジニアの仕事もしました。現在はゲルを中心にやっていますが、いろいろな現場を見てきたので、1つの分野に留まらず、融合させることで面白い研究ができると思っています。新しいアイデアを実用化までもっていくというのが、私の一番やりたいこと。そういうマインドで学生の指導にも当たっています。

 

トピックス

 さまざまな種類の微生物たちが、クオーラムセンシングによって、バイオフィルム(生物膜)と呼ばれる住処をつくります。膜によって自分たちの身を守り、微生物たちは増殖していくのです。歯の表面につくプラーク、シンクや配水管などのぬめりもバイオフィルムです。カテーテルなどの医療器具の内に緑膿菌や黄色ブドウ球菌がバイオフィルムをつくることも、大きな問題となっています。そこで、クオーラムセンシングを逆手にとって、バイオフィルムの形成を防ぐ研究も行われています。 たとえば、シグナル分子によく似た物質を投与して、シグナル分子がくっつくはずの受容体をブロックしてしまえば、クオーラムセンシングが機能しなくなり、バイオフィルムの形成を防ぐことができるのです。クオーラムセンシングの攪乱は、さまざまな場面で応用されていこうとしています。

 

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