第 7回 スピロヘータに学ぶ精密駆動技術
粘性の海を泳ぐスピロヘ-タの運動メカニズム
小さな体に生物進化の歴史を刻むバクテリア。 微小な高性能モーターとべん毛を操りながら、大海原を、動物の体内を、泳ぎ回り生きてきた。 粘りつく体液の中を自在に移動する、スピロヘータに学ぶ新技術とは?
地球上に数千万種は存在すると言われる、生物の起源でもあるバクテリア。かつては海底火山が供給する硫化水素の海を、次の時代は光合成細菌が生み出す酸素 の海を泳ぎ回り生き延びてきました。現在も、海洋をはじめとする水系や地中、そして動物の体内でその生存を謳歌しています。
人間の体内にも彼らの仲間が数多く存在します。例えば、腸内にはサルモネラ菌を始めとするバクテリアが、およそ100兆個も生きています。
その形は、球状・棒状など様々で、例えば海中を泳ぐビブリオ菌は、本体となる細胞と、太さ20~30nm(光の波長のおよそ1/10)ほどのべん毛からな り、そのべん毛をスクリューのように回転させて移動をします。人の腸の中にいるサルモネラ菌は、そのべん毛を複数持ち束にして泳いでいます。それぞれの環 境や目的に合わせた特徴をバクテリアは長い時間をかけて身に付けてきたのでしょう。
私たちの歯の表面のプラークや、腸の粘液層にも、バクテリアたちは暮らしています。こうした”ねばりつく環境”は「バイオフィルム」と呼ばれ、外敵が進入 しにくいなどの理由から、彼らにとって格好の住処です。しかし、微小な彼らが生きる環境は、表面張力や粘性といった、私たちが体験できない力学に支配され る世界です。粘度が増えると、それは私たちが重油のなかで泳ぐような困難さを伴いますが、その粘度や抵抗に抗い、自在に泳ぎ回る技術を開発した生物がいる のです。
らせん状の体を持つスピロヘータは、ワインのコルク抜きのようにその体を回転させ、バイオフィルムを形成する高分子の網目を足場に、すり抜けながら前進します。彼らは、内蔵するべん毛に体をひねる筋肉の役割を持たせ、粘性の海で生き延びてきたのです。
進行方向へは抵抗が無く、高分子の網目を壊す方向には抵抗力があって進めない、スケートの歯のようなしくみになっています。
スピロヘータの生態研究は今、生体内で物質搬送を行うドラッグデリバリーや、高性能なナノモーターを開発する研究者たちの間で熱い注目を浴びています。ス ピロヘータのシンプルで合理的な運動メカニズムの研究は、生体内の精密医療やマイクロマシン産業の分野で、幅広い応用が期待されているのです。
曲山幸生 主任研究官
独立行政法人食品総合研究会
かつて私は、産業用ロボットやハードディスクに使用されるサーボモーターの研究を行っていました。その頃に出会ったのが、バクテリアのべん毛モーターで す。微小な構造で、べん毛を制御する技術。知れば知るほど、その精密な動きや生物の奥深さに圧倒され、今もその謎を解く毎日です。
生態を検証することで、安全な「食」を確保する研究にも着手しています。バクテリアが住むバイオフィルムは、不衛生なパイプ内などに出来る「つまり」の原 因と同じ。スピロヘータなどのバクテリアの働きを解明、制御することで、それを剥がし、取り除く方法も見つけられることでしょう。
現在実現できる小さな駆動機構には、オンオフといった人間からの指令や、外部磁場や熱による素材の制御が必要ですが、べん毛モーターの研究は将来、確実に自分の力だけで働くマイクロロボットの開発へと結実していくはずです。
今から30~40億年前、大雨で出来た海の中ではアミノ酸がつくられ、タンパク質を形成し、それはやがて”地球で最初の生命”となりました。 どんな動物も植物も、生命の起源は微小な”細胞”。 それがバクテリアへと、また、光合成をして酸素をつくるもの、酸素を利用して成長するものへと、様々な生物として派生的な進化をとげてきたのです。 我々”人間”はというと、7000万年前の霊長類誕生を経て、500万年前の人類誕生へ、比較的歴史の新しい生物だといえるでしょう。 足をもつもの、ヒレをもつもの、羽をもつものなど、地球上の生物は皆、今回ご紹介したスピロヘータ同様、長い時間をかけてそれぞれの住処に適応した形状と機能を身につけてきました。 彼らが持つ最古の技術を辿り、その機能獲得の軌跡を追うことによって、最先端技術は今まさに進化しようとしているのです。
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