第63回  樹木に学ぶ過冷却のメカニズム

極寒でも凍らない水の秘密

寒冷地に成育する樹木は、幹の深部にある細胞内の水分を凍らせずに液体状態のままで保つという独自の術を身に着けている。氷点下の厳しい気候にも対応する、樹木に学ぶ過冷却のメカニズムとは?
木部柔細胞の過冷却および凍結状態の断面

木部柔細胞の過冷却および凍結状態の断面

 冬期に採取したカラマツの木部柔細胞を低温走査電子顕微鏡で撮影。写真上は?30℃まで過冷却した細胞で、核や液胞、葉緑体などの細胞内器官が識別できる。写真下は過冷却の限界温度を超える?70℃で凍結したもので、細胞内に大きな氷ができて細胞質が押しつけられ、細胞内器官は識別できない。

植物は一般に、氷点下で細胞外の水分が凍り氷晶ができると、細胞内の水分が蒸気圧の差で脱水され、致死的な細胞内での凍結を起こすことなく、寒冷地でも生き延びています。しかし、樹体が大きな木の幹にある木部柔細胞という部分は、細胞壁が非常に厚くて硬く、脱水することができません。そこで身に着けたのが、水を凍らせずに液体状態のまま保つ過冷却という術でした。

マイナス40℃にもなる極寒の地で、長期間にわたって過冷却状態を保つこのメカニズムは、従来、細胞が隔離された状態にあるため、小さな水滴が凍らない物理現象だと考えられてきました。ところが、木部柔細胞の遺伝子発現、タンパク質や糖類の蓄積を調べたところ、過冷却状態の変化と関連があることが明らかになりました。さらに、この細胞から抽出した二次代謝産物から、過冷却を促進する複数の高活性物質が世界で初めて発見されたのです。

これまでにも、水の過冷却を促進する氷核形成阻害物質の存在は知られていましたが、わずかに1℃以下の値を示すのみで、利用価値はなかったと言えます。一方、新たに発見された活性物質のなかには10℃も過冷却を促進するものがあり、さまざまな分野での利用が期待されています。

過冷却促進物質を利用してつくる“氷点下でも凍らない水”は、食品のみならず医療用の生体材料など、凍結保存が難しかった物質の低温保存に画期的な技術をもたらすでしょう。また、石油由来の物質に替わる環境に優しい不凍剤として、結氷防止塗装剤として、さらに雲中への噴霧により降雪をコントロールする豪雪被害の防御、省エネ効果など、多様な分野での応用研究に熱い注目が集まっているのです。

 

藤川清三 教授
北海道大学大学院 農学研究院

藤川清三 教授

 生物由来の技術で凍らない水の作成が可能に

どういう凍らせ方をしたら、細胞は生きているのか、あるいは死んでしまうのか…。そうした凍結の研究をずっと続けてきて、凍らせた細胞を観察するために、低温走査電子顕微鏡もつくりました。現在の研究はその延長線上にあり、30年やってきた基礎研究がいま、ようやく“凍らない水”の利用という応用研究につながろうとしているところです。 木部柔細胞には、過冷却を促進する物質が100種類以上存在すると推定されますが、現在、その内の4種類の高活性物質を同定しました。また、低活性から高活性なものまで、いろいろな種類の過冷却促進物質が季節や成育地の気温に合わせて発現し、シベリアなどでは?40℃以下の過冷却活性をこれらの相互作用で制御していることがわかりました。石油系の不凍液の替わりに、樹木由来の物質を利用していくことで、環境負荷が少なく、かつ生体を活かす高度な凍結技術の創出に貢献できると考えています。

 

トピックス

 再生医療や研究用の細胞を凍結保存する技術は、近年、大きな進歩を遂げていますが、細胞機能の低下、解凍後の再生率のアップなどの課題があります。また、臓器の凍結保存は技術的にまだ難しく、新たな凍結保存液の開発や、凍結せずに低温保存する研究などが進められています。そんななかで、生物の耐寒性に学ぶ研究が注目され、植物の耐凍性、動物の冬眠や休眠のメカニズム研究などが活発に行われているのです。たとえば、シマリスの研究では冬眠中に低温下で心臓が障害を受けることなく省エネモードで効率よく働いていることなどがわかっています。そのメカニズムを臓器保存や低体温での外科手術などへ応用する研究も進んでいます。植物や動物が極寒に耐える術が、近い将来、生体保存技術を大きく変える日がくることでしょう。

 

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