第36回 貝殻に学ぶ結晶構造の制御
“クモ糸遺伝子”でつくる人工貝殻
海に暮らすさまざまな貝は、それぞれ独自の形の貝殻をもっています。たとえば、速い流れに負けない重厚な貝殻をつくるハマグリ、泥の中に沈まないように軽い貝殻をつくるカキ。ともに方解石と同じ結晶構造を基本としながら、有機物を巧みに混ぜ込むことによって、生息環境に合わせて身を守るための家づくりを工夫しているのです。
カキの貝殻は、外側は柱が並んだような硬い稜柱層、中層は空洞があるチョーク層、内側は真珠に似た積層構造と、3層をつくりわけて軽量でありながら丈夫さをも実現しています。炭酸カルシウムの結晶とタンパク質という材料で、さまざまな構造を自在につくることができるのは、なぜなのでしょう?
貝類は、殻のすぐ内側にある外套膜の最も外側部分に“貝殻工場”をもっています。外套膜はホタテや赤貝ではヒモといわれる部分で、カキの場合は身の周りの端が黒っぽくひらひらしたところです。3層をつくり分ける真ガキの貝殻工場で特異的に発現する遺伝子を調べたところ、なんとクモの糸の遺伝子に相同な配列が発見されたのです。そして、クモがエサを捕らえる粘着糸タンパク質領域と、ダニなどにも見られる結合活性が高いセメントタンパク質領域をもつペプチドが、真ガキの複雑な貝殻づくりを制御していることがわかってきました。
このペプチドを合成して、人工貝殻をつくる実験が進められています。結合活性をもつ配列に手を加えると結晶がつながり、配合を変えることで、球体や角柱様のもの、花のようなもの、幾何学的なものなど、多様な形状のブロックができることも観察されました。セルロース成分を加えると結晶化が促進されることも確認されました。たとえば、コンクリートに代わる環境に優しい建材の開発、粘着性を活かした汚水処理への利用などが進められています。また、骨の成分であるリン酸カルシウムを使えば、再生医療用の生体材料への道も拓かれるでしょう。材料と配合の工夫次第で、人工貝殻は幅広い分野での応用が期待されているのです。
豊原治彦 助教授
京都大学大学院 農学研究科
海の生物のスーパーパワーを社会に活かす
子どもの頃から、さまざまな生物が住む、南紀白浜の海で潜っていました。いつからか、海の生物のスーパーパワーを役立てられないかと考えるようになり、海底に住む甲殻類や貝類などを中心に研究を進めてきました。貝殻の構造に注目した研究はいろいろとありますが、貝殻を製造する外套膜そのものを調べることで、殻がつくられるプロセスも解明できるのではないかと考えています。 一方、海の生物のエキスは薬や食品として、昔から利用されてきましたが、ほとんど知られていない生物もまだまだたくさんいます。そこで、各地の水産試験場や漁港などの協力を得て海の生物を採集し、そのエキスを保管するマリンエキスライブラリーをつくり、研究者をはじめ、いろいろな分野の方々に利用していただいています。自分でもときどき潜って採取しますが、子どもの頃の記憶の延長線上に、いまがあるのかもしれません。
クモは目的に応じて違う糸をつくり、なかには7種類もの糸をつくり分けて使っているクモもいます。たとえば、巣をつくる縦糸と横糸、獲物を巻き取る包み糸、自分がぶら下がるための牽引糸など。巣用の縦糸には粘りがありませんが、横糸はエサとなる虫類をつかまえるために粘着性が強く、クモは縦糸に沿ってのみ動くのです。また、自らの命綱である牽引糸は太さ0.05mmほどで、1本でも自分の体重の2倍の重さを支えられるそうですが、2本同時に吐き出して強化しているといいます。 同じ太さで計算すると、鋼鉄の5倍の強度、ナイロンの2倍の伸縮率をもつといわれるクモの糸は、スパイダーシルク、バイオシルクともいわれています。その細くて強い糸を人工的につくり出そうという研究は、古くからさまざまに行われていますが、いまだクモの糸を超えるものはできていません。 近年では、クモ糸遺伝子の研究も盛んに行われるようになり、遺伝子組み換えにより、カイコなど他の生物に効率よく大量につくらせようという研究も現実化しています。また、ジャガイモでクモ糸のシルクタンパク質の生産に成功したという事例もあります。生物が巧みにつくる有用物質を利用する研究は、実にさまざまな形で展開されているのです。 Views: 29