第64回  ネムリユスリカに学ぶ細胞保存法

長い休眠から蘇生する命の謎を解明

完全脱水に近い状態で、半永久的休眠を行うネムリユスリカの幼虫。高温や低温に耐え、何年にもおよぶ長い休眠から、水にもどすだけで蘇生する、ネムリユスリカに学ぶ細胞保存法とは?
ネムリユスリカ乾燥幼虫の蘇生

ネムリユスリカ乾燥幼虫の蘇生

 カラカラに乾燥した幼虫(写真右上段)を水にもどすと、1時間あまりで完全に蘇生する。写真は5分後(左上段)、10分後(右中段)、15分後(左下段)、20分後(右下段)の経過を撮影したもので、20分くらいすると、動き始めているのが見られる。

アフリカの半乾燥地帯に、ネムリユスリカという不思議な能力をもつが虫が生息しています。その幼虫は、岩盤の小さな窪みにできる水たまりで暮らし、乾季に水が干上がると自身もほぼ完全に脱水してカラカラに乾燥し、8カ月あまり脱水状態のままで休眠します。そして、雨季になって水が溜まると、吸水して再び発育をはじめるのです。

冬眠のような一時的なものでなく、代謝をまったくせず、脱水環境が維持される限り半永久的に眠り続ける休眠は、クリプトビオシスと呼ばれています。ネムリユスリカの場合もクリプトビオシスで、17年もの休眠から蘇生した例があり、100℃の高温、マイナス270℃という低温にも耐えて蘇生するという実験結果も報告されています。

このクリプトビオシスで重要な働きをしているのが、多くの昆虫の血糖であるトレハロースです。細胞を保護する成分として、食品や化粧品などにも利用されています。これまでの研究により、ネムリユスリカの幼虫は乾燥を察知するとトレハロースを大量に合成して水の替わりに体内に蓄え、48時間以上かけて脱水に備えていることがわかりました。脱水が進むと、ガラスのようになったトレハロースが細胞膜やタンパク質などの生体物質をカプセルで包まれたように保護し、損傷を最小限に抑えているのです。そして、トレハロースを効率よく運ぶトランスポーターや乾燥耐性に関わるLEAタンパク質の存在、さらに、蘇生時のためにDNA修復酵素を用意していることなど、その驚きのメカニズムも明らかにされました。

現在、真空で昼夜の温度差が激しい宇宙空間で、ね乾燥幼虫の蘇生実験なども行われています。ネムリユスリカのクリプトビオシスをまね、トレハロースを導入した臓器や血小板などの保存研究にも成功例が報告され始めており、農業、食品、医療など幅広い分野で、エネルギーや特別な冷却剤を必要としない生体細胞の常温保存に大きく道が拓かれようとしているのです。

 

奥田 隆 ユニット長
農業生物資源研究所 乾燥耐性研究ユニット

奥田 隆 ユニット長

 昆虫は、命の驚きを知る優秀な教材

子どもの頃から虫好きで、トンボを捕る名人でした。友達に負けないように大型のトンボをたくさん捕るために、トンボの行動や生態を夢中で観察したんです。その延長線上に、いまがあるのでしょう。なぜ羽の裏の方がキレイな虫がいるのか、世界最小の虫の細胞はどうなっているのか…。研究材料としての昆虫の面白さは、尽きないものがあります。好きなことを仕事にできるのは素晴らしいことです。これからも、人が考えつかない面白くてかつ有意義な研究ができればと思いますね。 ネムリユスリカの休眠研究をはじめたのは、20年ほど前になります。以前は飼育が困難でしたが、今は研究室内で大量に飼育できるようになり、そのおかげで、謎の解明も大きく進展してきました。そこで、子どもたちが“命の驚き”を知る素材としても面白いのではないかと、学習教材化も進めているところです。

 

トピックス

 生物の休眠は、低代謝状態で低温や乾燥に耐えるために行う冬眠に代表される広義の休眠と、無代謝状態のクリプトビオシスに大別されます。クリプトビオシスは300年以上も前から知られていたものの、そのメカニズムは最近になってやっと解明が進み、細胞保存などに活かされ始めたところです。一方、一般的な休眠についてのユニークな研究も行われています。例えば、カイコの野生種(野蚕)であるヤママユは卵のかたちで越冬しますが、その卵の中では成長した幼虫が眠っているのです。体液中から休眠状態を保つ作用をもつ特異的なペプチドが確認され、その物質を用いてガン細胞を眠らせてしまおうという研究が行われています。トレハロース、不凍タンパク質、休眠特異的ペプチドなど、生物たちが生存をかけて合成する物質が多様な場面で利用されているのです。

 

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