第26回 果実に学ぶタンパク質の大量生産
植物を使ったタンパク工場への挑戦
糖尿病治療薬のインスリン、ウイルスの増殖を抑えるインターフェロン、成長ホルモン、リウマチやガンなどに対する免疫を高めるモノクローナル抗体、エリス ロポエチンなどの造血剤、降圧性ペプチドや鎮痛性ペプチド…。さまざまなタンパク質由来の医薬品は、その多くが、目的とするタンパク質の遺伝子を大腸菌に 組み込む、バイオテクノロジーによってつくられています。
最近では、桑の葉を食べてシルクというタンパク質の糸を出すカイコに、動物のインターフェロンを生産させる“昆虫工場”なるものも登場しました。タンパク 質生産機能を有するバキュロウイルスに目的とするタンパク質の遺伝子を挿入し、そのウイルスをカイコの体内で育て、生産されたタンパク質を回収するので す。そしていま、植物をタンパク質の製造工場にしようという研究も始まっています。
メロンに大量に存在する物質に、ククミシンというタンパク質があります。長年の研究により、ククミシンの構造が明らかにされ、葉や茎、花、根などには存在 せず、果実のみに特異的に発現すること、果汁に分泌して蓄積されることなどがわかってきました。さらに、ククミシン遺伝子の発現を促すプロモーター領域の 1000を超える塩基の内、わずか20個の塩基からなる短い配列が、果実でタンパク質となる運命を左右していることも明らかにされたのです。この発見は、 基本の20塩基配列の後にどんな種類の遺伝子をつないでも、果実内でそのタンパク質ができることを意味します。
すでに、ミニトマトを使い、GUS(β-グルクロニダーゼ)というレポーター遺伝子を果実に発現させる実験に成功。ヒトインターフェロンをつくる実験も始 まろうとしています。果実の成長には時間がかかりますが、体積が大きい分大量生産が期待でき、果汁に分泌したタンパク質は抽出や精製が容易というメリット もあります。研究はまだ始まったばかりですが、薬や酵素生産だけでなく、食べるフルーツワクチンの実現へと夢は膨らみます。生物のメカニズムを生産のプロ セスに生かす時代は、確実に近づいているといえるでしょう。
山形裕士 教授
神戸大学 農学部生物機能化学科
生物の機構を活用し、生物による有用物の生産を目指す
生物のもつ機能をうまく利用して、私たちにとって有用な物質を効率よく生物につくらせるバイオテクノロジーの研究を実践しています。私が生化学を志したのは、生命現象の根幹に関わる分野の研究をしたいという思いからでした。
近年、遺伝子の世界が開かれ、タンパク質の構造や機能の解析が進み、生命科学は急速な進歩を遂げました。しかし、いまだに生命は神秘であり、私の好きな登 山で言えば、エベレストよりも高い未踏峰が無数に残されているようなものです。わかっていることより、わからないことの方がはるかに多いのです。多くの若 い人が夢をもって、生命科学の研究に参加していってほしいと願っています。
植物に人などの遺伝子を導入して有用なタンパク質をつくらせ、それを抽出・精製して医薬品として利用しようという分子農業が、環境対応や安全性などから注目され、研究や実用化が活発化してきています。また、遺伝子組換えによって、人や動物の病気を予防するためのワクチンを、作物につくらせようという計画もさまざまに進められているのです。たとえば、とうもろこしでエイズワクチン、トマトでE型肝炎ワクチン、バナナでB型肝炎ワクチンをつくるといった研究が行われており、臨床試験の事例もあるといいます。 遺伝子組換えには賛否両論があり、法的な問題をはじめクリアしなければいけない課題もあるでしょう。しかし、アフリカなど暑い地域では、薬の保管に非常に高額な冷蔵費用がかかったり、冷蔵設備そのものが利用できないこともあります。ワクチン自体が高値で、貧しい地域には行き渡らないという厳しい現実もあります。注射器で接種する際の感染等の衛生管理、医療専門家不足、コスト面などからも、容易に接種できる「食べるワクチン」の利点は大きいと、期待されているのです。 Views: 52