第84回 糸状菌に学ぶ抗病原性物質の探索
異なる微生物間の相互作用を利用
感染症の予防や治療には、おもに抗生物質が使われます。ところが、抗生物質の効かない耐性菌が次々と出現し、院内感染などが大きな社会問題となっています。そのため、近年注目されているのが、薬剤によってバクテリア(細菌)自体を殺すのではなく、毒性物質など病原性因子の生産メカニズムを阻害することで病気の発生を防ぐ抗病原性薬の開発研究です。
バクテリアはクオルモン(シグナル物質)を放出し、仲間どうしでコミュニケーションをとっています。仲間が増えてクオルモンが一定以上の濃度になると、細胞内に取り込まれて受容体(レセプター)と結び付き、病原性因子を生産するための遺伝子が発現します。これにより、感染から増殖、そして発症へと至るのですが、このメカニズムはクオラムセンシングと呼ばれています。バクテリア達が多くの仲間とと力を合わせてエサを捕獲し、生存場所を確保するために身に着けた戦略なのです。
このコミュニケーションを阻害することで病原性因子の生産を抑制し、バクテリアを殺すことなく感染症を防ぐことができれば、生命の危機を感じて耐性菌が出現することがなくなると考えられるのです。そこで注目したのが、カビ(糸状菌)とバクテリアの相互作用でした。たとえば一握りの土の中には無数のカビやバクテリアが棲んでいますが、互いの生育を阻害したり、共生したりとさまざまな関係が存在しています。そこで、カビの代謝物中にクオラムセンシングを阻害する物質があると考えたのです。
これまでの研究で阻害活性を有する物質が発見され、その構造決定も行われました。また、構造改変により阻害活性を上げる研究なども進められています。反対に、クオラムセンシングを促進する物質も発見されており、微生物間の新たな相互作用の解明へとつながることも期待されています。
甲斐建次 助教
大阪府立大学大学院 生命環境科学研究科
伝統的な天然物化学から新たな試みを
学生時代から植物や微生物の作る生理活性物質についての研究を行ってきました。天然物化学と呼ばれる学問分野です。現在は、微生物どうしの相互作用をつくり出す情報物質に特に興味を持っています。そういった基礎的な知見の蓄積が、私たちに悪い影響を及ぼしてしまう微生物を制御する手段につながるのではと考えています。 天然物化学は、新しい技術や方法論が次々と確立される他の分野と比べると、古くさい印象を持たれがちです。しかし、生き物が長い時間をかけてつくり上げてきた天然物には、私たちが知らない役割や可能性が秘められていると思っています。異なる微生物間の相互作用を利用しようとする中で、新しい情報物質や天然物の新しい機能が見えてきそうです。自然(生き物)に学ぶという天然物化学の原点から新しい試みにチャレンジしていきたいですね。
抗生物質は、「微生物によってつくられ、微生物の発育を阻害する物質」と定義されています。その歴史は1929年に青カビから発見されたペニシリンに始まり、以来、さまざまな種類の細菌類に対して抗生物質が探索され、利用されてきました。発育が阻害される、つまり生存が脅かされるため、細菌たちは何とか生き延びようと自らの遺伝子を書き換えるなどして耐性を身に着けているのです。それに対して、より強い抗生物質の探査も行われてきましたが、それに対しても耐性菌が生まれてくるというのが現状です。そして、耐性遺伝子は次世代のみならず、菌種を超えて受け継がれることもあると言います。 また、特定の抗生物質に対する耐性だけでなく、複数の抗生物質に対する耐性を有する多剤耐性菌の出現も大きな問題となっています。生物が生き残りをかけて変異を遂げることは、自然界では当然のように起こることであり、細菌たちの命を脅かさない感染症対策に大きな期待が寄せられているのです。 Views: 35